『日本でも同性結婚を認めるべき?』を読んで

はじめに

BLOGOS上で行われている議論『日本でも同性結婚を認めるべき?』を読み、是非私も意見をと思いましたので、ここに記します。 

このエントリーの主旨は、『日本でも同性結婚を認めるべき?』で見られる論点や議論が錯綜している点をまとめた上で、同性結婚に関する私の見解を明らかにすることです。

私も本名を名乗り議論すべきところであることは重々承知しておりますが、「社会的境遇」を考慮し、ハンドルネームで投稿させて頂きます。

様々な関係承認のあり方

久家雅博さんが『特別配偶者法の議論を』のエントリーでまとめてくださっているように、世界的に見て、同性愛者同士関係の法的承認にはいくつかの形態が存在しています。

ベルギーやオランダなど、2000年代以降、同性結婚制度(「婚姻型」制度)を確立させている西ヨーロッパ諸国の大半は、まず最初にパートナーシップ制度などの「別制度型」の関係承認を確立し、その後「名実共に平等な承認」を求める形で、「婚姻型」の制度を樹立しています。 

「別制度型」のみ認められている西ヨーロッパ諸国の多くでは現在、「婚姻型」の制度を樹立しようと活動が展開されています。特にフィンランドなどではその動きが顕著であり、近い将来、同性結婚制度が樹立されるだろうと一部では目されています。その一方で、民事連帯協約が認められているフランスにおける、同性結婚制度樹立の議論は難航しているようです。 

パートナーシップ制度など「別制度型」「準婚型」においても、異性愛者の結婚制度と全く同じ法的権利を認めるとした/していた国もある中で*、なぜ西ヨーロッパ諸国では「婚姻型」の関係承認が求められるのでしょうか。理由はいくつかありますが、代表的なものとしては、1)異性愛者と「完全に」平等な権利を享受する、2)宗教的承認を受ける/受けたい、という点があげられます。1)に関してですが、たとえ「婚姻」と同じ権利がパートナーシップ制度などで認められているとしても、「準婚」という言葉が象徴するように、「二級市民的扱い」を受けていると感じる点には変わりがありません。平等の権利が認められているのであれば、なぜ結婚制度として扱われないのかという点に大きな疑問が生じるわけです**。2)に関しても大枠では1)と結局は同じこと、「異性愛者と平等の権利を」という点に尽きるわけです。パートナーシップ制度が「市民結婚」的制度であるのに対して、「結婚」は宗教的儀礼の要素が強いものです。故に、教会などの宗教関連施設において、パートナーシップ制度の締結は行えないなどの事態が生じており、このような現状を是正するためには同性結婚制度の成立が必要だという主張に至るわけです。

日本においては、同性結婚制度あるいはパートナーシップ制度などの事実婚制度も確立されていません。法的承認の必要に迫られた同性愛者カップルなどは、両者が日本国籍保有者であり一日でも年齢差がある場合において、養子縁組制度を活用しているとのことです。

*但し養子や親権に関することを除く

**勿論、結婚制度への「ランクアップ」を図ることで、養子・親権・人工授精などへのアクセスを拡大しようとする意図がある場合も多いと思われます。 

「結婚」とは何か

私の解釈における結婚とは、宗教・世俗的な儀礼であると共に、「法的権利・責任のパッケージ」を一括で締結するものです。結婚することで、相続・税制上の権利・親族としての扱い、など様々な「権利」を一括して受けることができます。

婚姻関係を締結することができない日本の同性愛者の中には、先に挙げた養子縁組制度で結婚に準ずるような権利を享受する者の他、財産や相続・医療などに関して一件ごとに公証人の下で法的効力があるとされる誓約書を作成するなどして対応をしているものもいます。問題点としては、前者に関して言えば養子関係の解消が困難であること、将来的に同性結婚制度が樹立された場合に養子という血縁関係に準ずる関係にあることから結婚することができない恐れがあることがあげられます。後者では、誓約書の作成は時間的・金銭的負担が大きいこと、またその法的効力も完全ではないのではないかという点があげられます。

養子縁組関しては、『日本でも同性結婚を認めるべき?』のコメント欄において椎名健太郎さんが「 養子縁組制度は、ごく簡単に言えば『法定血族関係を発生させ、親子関係を擬制する』制度ですから、『婚姻』とは立法趣旨も法律効果も要件も阻害事由も異なります。また同性愛者はえてして親族等の理解が得られず回復困難な人間関係に陥っている場合も少なくなく、仮に同性カップルが養子縁組制度利用したとしても、相続などの財産法的効果が発生した際当該親族と深刻な利害対立関係が生じ、養子縁組無効・取消しの訴えを提起されるなど、障害も多いです。判例には、過去に『一時的な』情交関係があった男女間の養子縁組を有効とはしたものの、夫婦一般に見られるような『継続的な』情交関係を当然の前提とする同性カップルでは、公序良俗違反として養子縁組が無効になる可能性も恐らく高いでしょう つまり、養子縁組で代替するのはおよそ現実的ではなく、またそれで足りる場合でもやはり限界があります。」と指摘されています。

また、カップルに非日本国籍保有者が存在する場合、(配偶者)滞在権が得られないという問題もあります。ただ、諸外国の例を見る限り、関係締結に際し国籍要件が課される場合もあるなど、滞在権や市民権が同性結婚制度ないしパートナーシップ制度で必ずしも認められるとは限らないようです。

子供と同性結婚 

同性結婚や同性愛者の法的関係承認について議論する際に、常についてまわるのが「子供」の問題です。

この問題に関する主張およびそれに対する反論は、論点別に以下のように分類できます:

 1)結婚は子供を産むことを前提とした関係。同性愛者は子供を産めないから結婚すべきではない

   反論:子供を産まない/産めない(異性愛者)カップルは結婚してはいけないのではないか。

 2)同性愛者は子供を産めない → 人口減少・経済縮小

   反論:人工授精や養子制度などを利用して子供を"産む"ことはできる。

 3)同性愛者が子供を育てる=母親・父親といったジェンダー・性のロールモデルが不在 → 子供は同性愛者になる

   反論:同性愛者の家庭で育った子供が必ずしも同性愛者になるわけではない*。「同性愛者の多くは異性愛者の家庭で育ってきたわけであるが、子供が親のジェンダーを見て育つというのであれば、なぜ同性愛者が大規模な数で存在するのであろうか」**(ハーヴェイ・ミルクなどが主張した論旨)

 4)同性愛者の家庭に育った子供は、学校でイジメられる

   反論:問題なのは、同性愛者の家庭で育つということが問題なのではなく、学校でいじめられるという点である。親や個人の性的指向に基づきいじめが行われるような状況こそ改善していかねばならない、誰かがこの状況に挑戦しなければなにも変わらない***。

諸外国においては、同性愛者の結婚制度ないしパートナーシップ制度を整備する際に、養子・親権・人工授精などの子供に関する権利に関しては、特段の議論が持たれ、同性愛者の関係承認よりもさらなる審議が重ねられることが殆どです。例えばメキシコシティは、同性結婚制度確立の際に養子・親権の問題はこの制度に含まれないとし、この問題に関して別途長い議論の末、同性愛者のカップルにも養子・親権の権利を認めるとの判断に至りました。ですので、世界各国の議論の中でよく見られる「同性愛者が結婚する=同性愛者が子供を育てられるようになる」といった主張は、後々同性愛者にも養子・親権が認められる事例が多くあることから誤認であるとまでは申しませんが、必ずしも同性結婚制度などと同時に成立する図式ではないということは指摘しておきたいと思います。

性的指向は生まれつき備わっているものであり、それを「変更する」ことは不可能との立場からすれば、「人口が減る」との理由から同性愛者が子供を持つことに反対している者は、同性愛者が異性愛者を装い結婚し家庭・子供を持つことは善きことと受け止めているのか、という疑問も浮かびます。仮にそれを受け入れられないと捉えるのであれば、「人口が減る」ことは無いのではないでしょうか。

*研究調査段階ではあるようですが、アメリカで行われている実験などでは、同性愛者の家庭で育った子供が必ず同性愛者にナルわけではない、同性愛者の家庭で育った子供が異性愛者の家庭で育った子供と比べて能力的に劣ることはないとの結果が出始めているようです。

**専門家の中でも意見が大きく割れるところですが、性的指向は生まれつき持ったものであるとの立場が「主流」であると私は考えています。

***論旨から少しずれますが、最近アメリカでは学校における「性的少数者」に対するいじめなどの問題が表面化して起きており、ヒラリー・クリントン国務長官バラク・オバマ大統領をも巻き込んだIt Gets Better Projectなどの活動が展開されつつあります。

私のスタンス

私は同性愛者であり、同性結婚制度に賛成です*。最終的にオランダやベルギーで認められているような同性結婚制度の樹立行き着くことが望ましいと考えています。

理由としては、相続・税制など様々な「法的権利・責任のパッケージ」をパートナーと一括で締結したいという思い、そしてパートナーが外国籍である、という点が挙げられます。後者に関しては、パートナーが失業などして在邦資格を失った場合の「保険」として配偶者ビザがあれば良い、という程度の認識です。前者に関しても、異性愛者の国際結婚においても子供の連れ去り問題などが発生している中で、同性愛者カップルの「法的権利責任」が国際レベルでどの程度遵守されるべきものなのかは不透明であり**、「締結した所で権利・責任という意味では意義が無いのでは」といわれると返す言葉は殆どありません。 

同性結婚制度が樹立されている国・地域を見ると、その全てが「西側」「西欧」あるいはそれら地域と歴史・文化的に繋がりが深いことは否めません。gagapiさんが『日本でも同性婚を認めるべき?』のコメント欄で「世界がそうだから日本も同調するって、この、アイデンティティの無さはなんなんだ?何でも平等だから、世界がやってるからって制度変更するのは、頭脳を持ったサル以下だね。」と主張されているように、一方からすれば、同性結婚制度を求める行為は「欧州讃美」「欧州連合讃美」と捉えられる要素がなくもないと私も思います。

詳しくは申し上げませんが、このエントリーを書いている私自身も、十代の大半を西欧のある国で過ごしたということもあり、根底部に無意識の「西側への偏り」があることは否めません。

ジャックの談話室というサイトで「ゲイリブ」などに関して投稿を公開されているジャックさんは『G8の中で同性パートナーへの保障がないのは、日本とロシアだけだというバカ』の中で、「重要なことは、欧米諸国にパートナーシップ制度が存在するかどうかではなく、日本の同性愛者がそのような制度を望んでいるかどうかです」と主張されています。 

同性結婚制度などの樹立に向けて我々が取り組むべきことは「どうしたいのか議論を重ねる」ということは改めて言うまでもありません。そのためには、当事者、すなわち同性愛者の間で議論を深める必要があるでしょう。 

勿論、一言に「同性愛者」と言ってもゲイ・レズビアントランスジェンダー、様々な指向や考えを持った方がおり、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律の制定にあたり、トランスセクシュアルの中でも大きく意見が割れたように、「同性愛者」の中で足並みをそろえることは不可能です。

そのような中で我々が取り組むべきことは、特別配偶者法ないしパートナーシップ制度・同性結婚制度などの関係承認に議題を絞り、議論をすることです。HIV/AIDSや精神ケアなどの問題に特化する同性愛者関連団体が多い今、特別配偶者法の成立を明確に打ち出しているパートナー法ネットのような団体が中心となり、議論を促進させる手立てを、メディアに取り上げられ社会の関心を高める手立てを採るべきです。その際に、パートナー法ネットの主旨に真っ向から対立するような団体が存在することで、インターネット上で交わされるような非建設的な議論ではなく、基本的な事実を共有した上で、お互いの主義主張が見える形での開かれた討論が交わされるべきであると私は思います。 

最後に、誤解のないように申しますが、本節における記述はあくまで私の個人的な境遇に基づく見解であり、同性結婚制度・パートナーシップ制度・特別配偶者法などの成立を求めている方が皆「欧米寄りだ」あるいは「西側への偏りがある」といったことは主張していません。

*同性愛者である⇆同性結婚制度に賛成という主張ではありません、念のため。 

**フランス・イギリスにおけるパートナーシップ制度/PACS制度の相互承認など、国の間で同性愛者の関係の取り扱いについて取り決めを定めつつある国もあるようですが、多くは法廷での審理が必要となるようです。

以上